真っ暗な森の奥から、水音が聞こえた。
 この真夜中のこんな場所に、一体誰がいるというのだろう? 
 少しばかりの好奇心と純然たる喉の渇きに背中を押されて、俺は音のした方へと向かった。
 この森に盗賊が出没するという噂は聞かないが、万が一という事もある。それに、人ではない可能性も。
 そろりそろりと足音を忍ばせ、下草の少ない箇所を選んで先に進む。
 音の主に気取られないよう、息を潜めて。

 しばらく進むと、辺りに水の匂いが漂い始めた。
 淀んだり濁ったりしていない、清浄な水の匂い。
 シャラシャラと耳に心地良い音色は、小さな滝の存在を思い出させた。
 目線を上に向けると、少し先にぽかりと開いた夜空が見える。
 目的の場所は、近いようだった。



 カサ・・・。
 細い枝葉を掻き分け、ようやく茂みから抜け出した先に。
 それが、いた。

 漣立つ水面から、スッと現れ天へと指し伸ばされる真っ白な指先。
 続いて細い腕が現れると弧を描き、緩やかな動きで再び水中に没する。
 ちゃぷん。
 続いて黒々とした塊が浮かび上がる。と、ほぼ同時に、雲の切れ間から月光が降り注ぎ辺りを照らして。
 ようやくそれが、女の頭部だと知った。
 黒く見えたのは長く伸ばされた髪。水の流れに沿い後ろへと広がりなびいて、まるで花嫁のベールを連想させる。
 見る間に彼女は月明かりの下、惜しげもなく清らかな半身を現した。
 丸みを帯びた肩のラインに艶やかな髪が張り付き、背中の線と同化して。
 小ぶりな乳房を片腕で隠して佇む女は、肩を揺らして溜息を一つ。
 たっぷりと水を含んで重たげな髪が、一筋ざらりと肩口から零れ落ちる。
 やや俯き加減の横顔。遠くて細かな表情までは見えないけれど、彼女が小さく唇を震わせているのは判った。
 歌っているのか、不思議な旋律が途切れ途切れにここまで届く。

 「・・・あ」
 つい、声を漏らしてしまった。
 俺の声を聞き咎めたのか、彼女がこちらを振り向いた。
 しまった、こんなヘマをするつもりはなかったのに!!
 何か言わなきゃ。 危害を加えるつもりはないんだって!!
 慌てて口を開こうとした、その時だった。
 視界が真白に染まるのと同時に、強烈な衝撃波に吹っ飛ばされて。
 ・・・そこで、記憶は途切れている。



 「・・・・・・」
 「・・・・・・」
 「・・・んなもんでいいんじゃない?」
 すぐ傍から、若い女の声が聞こえた。
 「この位で足りるだろ。あとは街に下りてからでいいんじゃないか」
 今度は男の声だ。どことなくのんびりした響きの、たぶん大人。
 「お。ぼーず、気がついたか?」
 ワシワシと思いっきり髪を掻き乱されて、慌てて跳ね起きると。
 「その分だと大丈夫そうだな。飯、食うか?」
 何が楽しいのか、俺の正面にしゃがんで笑ってる金髪の男がいた。

 軽装鎧を身につけている処を見ると、傭兵か用心棒ってとこか。
 明るい色の青い瞳と長い金髪。そこらの女にモテそうな顔は興味深げ。
 「そんなにじろじろ見るなよ!」
 なんとも気恥ずかしくて、強い調子で怒鳴ったら。
 「ぐぅ〜」絶妙なタイミングででっかく腹の虫も鳴いた。ちくしょ、我ながら情けねぇぜ。
 「お腹空いてるんなら食料、分けてあげなくもないわよ?」
 今まで黙っていた女が話しかけてきた。

 こっちは格好からして魔道士と判る。
 黒いマント、ショルダーガードやら腕輪やらあちこちに飾られているでかい宝石はたぶん、宝石の護符ってやつだろう。あれを一つ買おうと思ったら、どれだけの獲物を仕留めりゃいいのやら。
 ってことは、目の前の男は彼女の護衛に雇われたか、それとも仲間なのか。

 「・・・いい。携帯食料位持ってる」
 ガサガサとポケットの中を探ってみるが、ある筈の食料は出てこなかった。
 しまった、昨日の夕方で全部食べちまってた。
 「手持ちがないなら素直に言ったら?」
 女がニマリと笑って、一人だけ焼き魚の串に齧りつくと「あ〜美味しいっ♪ この塩加減が絶妙なのよね♪」もう片方の手で見せつけるように、俺の鼻先に手付かずの串をちらつかせる。
 「我慢は身体に毒だぞ〜? ほれ、子供は素直が一番だ」
 いつの間に持ってきたのか、男が俺に新しい串を握らせてくれる。
 「食えよ。腹、減ってんだろ?」そう言われてまた、わしゃわしゃ頭を撫でられた。
 「ちょっとガウリイ、それあたしの!」
 「また次を焼けばいいじゃないか」
 だんだん大きくなる諍い・・・じゃないな。じゃれあいか?
 とにかく賑やかな大人達を尻目に、俺は黙々と口を動かし続けた。



 「・・・じゃあ、ジョンは猟師見習いなわけだ」
 ある意味とてもスリリングな食事が終わり、皆して香茶を飲みながらゆるい会話を続けていた。
 ちなみに女がリナで、男の方はガウリイ。
 どこかで聞いた気もするけど、まぁ、さほど珍しい名前でもなし。
 「ああ。今回の猟で獲物を仕留められたら一人前って認めてもらえるんだ。
 今までは親父の手伝いしかさせてもらえなかったけど、それももうすぐお終いだ」
 昨日、一日がかりで森のあちこちに罠を仕掛けてある。あとは獲物がかかるのを待つだけだ。
 「今回の猟が見習い卒業試験ってわけね? で、何を狙ってるの?」
 「一応、鹿か猪を狙ってる。兎や鳥じゃあ威張れねぇもん」
 「お前さん、そんなでかい獲物を狙うのはいいが。一人でどうやって村まで運ぶつもりなんだ?」
 「うっ。・・・そんときゃとりあえず毛皮と肉だけでも持って帰る」
 二人とも旅の生活が長いらしく、俺よりもずっと野営やら罠の仕掛けに詳しくて。こうして話しているだけでも随分勉強になる。

 「でも今回は諦めた方がいいわ。気がつかない?なんだか様子がおかしいって」
 急にリナが声を潜めて、言った。いつの間にか顔から笑みが消えている。
 「おかしい?」
 昨日俺が森の中を歩き回ってた時は、そんなもの感じやしなかった。
 「空気がピリピリしてるっていうか。どうもきな臭い感じがするわね。
 ほら、さっきから鳥の声も虫の声も聞こえない。ガウリイ、あんたは?」
 「あっちから、だな。けっこうな団体さんだ」
 あっさりと言うなり、ガウリイは剣に手をかけ立ち上がり。
 リナは手早く薪に砂を被せて、焚き火の始末を済ませると「ジョン、よっく耳を澄ませてみて。判らない?」そういってなぜか自分達の荷物を俺に押しつけてきた。
 「何って・・・」
 森の様子がいつもと違うのなら、俺が気付かない筈ないのに。
 半信半疑のまま、ぎゅっと眼を閉じて耳を澄ませてみた。

 ・・・変だ。確かにおかしい。リナの言う通り虫の声も鳥の歌も、まったく何も聴こえてこない。

 「・・・逃げるわよっ!!」
 「おうっ!」
 「うわっ!!」
 リナの声とどっちが早かったのか。
 ガウリイが俺を小脇に抱えて(俺は荷物じゃねぇ!!)村の方角に走りだした。



 「なぁ! 俺の事よりあのねーちゃん助けなくていいのか!?」
 逃げろと叫んだ筈のリナが来ていない。なんでだ? 俺でも分かる位あの場所はやばいんだろうが。
 これ以上あそこにいたら確実にやられるって俺でも判ったんだ。
 一瞬でザワッと体中の毛穴という毛穴が逆立った。
 昔、手負いの熊と遭遇した時より肝が冷えてるっていうか、上手く言えねぇけどとにかくやばい!!

 「なあって! 俺なら一人で走れるって!! あのねーちゃん、あんたの恋人かなん・・・」
 がぉんっ!!!!!
 逃げてきた方角からビリビリ地鳴りが響いて、少し遅れてもうもうと黒煙が立ち昇り。
 数瞬遅れで届いた爆風が、俺達に容赦なく砂利や土埃を叩きつけてくる。
 口に入った砂を吐き出して、途切れた続きを怒鳴ろうとした時だった。
 やっとガウリイが止まってくれた。俺の胴を抱えていた腕がようやく外される。
 くそっ、脇腹いてぇよ。あとでぜってー痣になるって。

 「ジョン。振り向かないで麓の村まで真っ直ぐ走れ。・・・できるな?」
 わざわざしゃがみ込んで俺に目線を合わせて、ガウリイが言った。
 すっげぇ真剣な顔。 山で遭難した時の親父のそれよりももっと。
 なのに、何でまた俺の頭撫でてんだよ! 俺に構ってる暇があったら早く戻れって!!
 「できるに決まってんだろ! この森はオレの庭みたいなもんなんだぜ!? だから早くリナのとこに戻ってやれよ!!」
 思いっきりの子ども扱いが悔しくて、でかい手を振り払って怒鳴った。
 こんな事してる場合じゃないだろ。
 あのねーちゃんが魔道士で、攻撃魔法を使えるんだとしても。あんな場所に一人なんて、無謀にも程がある。
 この状況で赤の他人の心配なんて、どうでもいいだろうが!!

 「じゃあ、後ろを振り向くんじゃないぞ?」
 「おい・・・」
 あんた、なんでそんな風に笑ってんだよ。
 いくら実戦慣れしてるったって、あんなの相手じゃ死ぬかもしれないんだぞ!!
 そして、あっという間にガウリイは元来た方角。つまり森の奥へと駆け去った。



 ガキ扱いしやがって!!
 あんな『ちょっと用を済ませるだけ』みたいに笑うなってんだ。
 腹ではガウリイの態度にムカついていて。
 でも身体は気持ちよりも正直で。
 一人になった途端に、さっき感じた『気配』に毒されたのか。勝手に身体が震えてしまって力が入らなくなる。

 咄嗟に腰に下げた愛刀の柄を握り締めた。
 これは、この試験の前に親父から譲ってもらったもの。
 山で無事に狩りができるよう、山から無事に帰れるようにと、祝福を受けた短刀だった。
 ・・・山の神様、俺に度胸を貸してくれよ。

 山を一番知ってる筈の俺が、危ないからって一人だけ逃がしてもらうなんて。
 そんなんじゃ、一人前の猟師になんかなれるわけねぇ。
 俺は、餓鬼の頃からこの森の事を知り尽くしてる。
 身を隠す場所も、村まで帰る最短ルートも全部知ってるし判ってる。
 ほんとは無茶苦茶怖ぇけど。
 他人の事なんか関係ねぇって、ケツ捲って逃げちまいたいけど。
 それをやっちまったら、男が廃る。
 食わせてもらった恩も忘れて逃げてきたのかって、バレたら親父にしこたまどつかれちまうしな。

 気合を入れたくて空いていた手で拳を固めて自分の頬を思い切り殴りつけた。
 力任せにやったから、ブチ当てた箇所がジンジン痛むけど。
 ほら、これがリアルだろ? 俺の力じゃ精々この程度だよな。たぶん一撃じゃ狸だって殺せねぇんだ。
 ・・・けど、こんな俺でもなんかあいつらの役に立てるかもしれねぇ。
 あいつらに借りを返したいなら、今をおいて他にねぇだろうが!!



 預かった荷物を、気に入りの樹の洞に突っ込んで枝葉で入口を塞いで。
 あいつらがいるだろう方角からは、ひっきりなしに轟音やら炎が上がっては消える。
 まだ生きているか? 生きてろよ!?
 肌にビリビリ突き刺さる禍々しい気配。生まれて初めて感じる・・・これが、たぶん瘴気。
 がたつく奥歯を食いしばって、俺は思いきり地面を蹴りつけた。



 ハッ・・・ハッ・・・ハアッ・・・。
 ちくしょ、脇腹、いてぇぞ。
 あいつ、俺の事抱えて、よくもまぁ、こんだけ、走ったもん、だよな・・・。
 記憶の中の最短ルートで、元の場所に戻った俺の視界に飛び込んできたのは。
 『一仕事終えた』って顔で突っ立ってるリナと。
 見た事もないグロテスクな獣を、剣先で軽々あしらっているガウリイの姿。

 「あんたら、無事だったのか!!」
 ホッと安堵の息を吐いて、二人の下に駆け寄ろうとして・・・思いっきり何かに躓いた。
 何気なくやった視線が捉えたのは。毛むくじゃらの、引き千切れた腕。
 「ぅわぁっ!!!!!」
 驚いて一歩。下がった踵にぶち当たったのは、大型獣のものらしき頭部。
 断末魔をあげたのだろうか、大きく開いた口内には鋭く尖った牙がぞろりと並び。
 カッ!!と、見開かれた眼は、白目が赤黒い血色に染まっていて。
 がたがた震えながら辺りを見回すと、そこここに無残な死骸が転がっていた。
 周囲も木々が倒れ、焼け焦げて。すっかり地形も変わってしまっている。

 ぎゃりん!!
 やや離れた場所で、最後の獲物をガウリイの剣が一刀両断。
 拍子抜けするほどあっけなく、戦闘は終わりを告げて。

 「あ、ごめんごめん。驚かせちゃったわね」
 血臭色濃く漂う凄惨な場の真っ只中で、動揺しているのは俺だけだった。
 二人は手早く後始末の算段をつけると、何でもない顔でこちらに近づいて来る。



 「怪我しなかった?」
 周囲の惨状にびびって腰を抜かしたままの俺に、ヌッとリナの手が伸びてきて。
 「うわっ!!」
 俺は反射的にその手を振り払っていた。

 怖い。
 こいつら、普通じゃねぇ。
 普通の人間がこんな短時間にこんなマネ、できっこねえ!!

 惨たらしい現場の只中で、俺はすっかり取り乱していた。
 頭を抱えて地べたに這い蹲った俺の、耳に届いたのは。
 リナの、小さな小さな溜息の音。
 「・・・別に、取って食おうなんて思ってないわよ。ほら、顔見せて。どこも怪我してないわね?」
 遠慮のない手が俺の顔を持ち上げて。真正面からリナと視線がかち合ってから。
 やっと、気がついた。
 俺にと向けられた笑顔の中に、僅かに滲んだ傷心の色。
 「・・・あ」
 謝らないと、と、慌てて口を開こうとしたのを、「あーあ、すっかり汚れちゃったから水浴びでもしてくるわ。ガウリイ、あとはお願い」あっけらかんとした口振りに遮られてしまった。



 そのままリナは、振り返る事なく森の奥へと消えていき。
 残された俺は、もの言いたげに向けられる視線がひたすら痛くて。

 「・・・ジョン、手伝えよ」
 しばらくして声を掛けられた時、正直ホッとした。
 おずおずガウリイの方を向いたら、彼はもう怒ってはいなかったけれど。
 代わりに浮かんでいたのは、ちょっと困ったような表情。
 「とりあえずそっちで火を熾そう。 あいつが戻ってくる前に仕度してやらんと」
 殺戮現場から少しだけ移動した場所で、改めて野営の準備を整えて。
 俺も二人の荷物を取って戻って、中から携帯食料を取り出して簡単な食事の支度を始めた、が。
 「・・・遅くねぇか?」
 リナが、戻ってこない。
 「大丈夫だ」
何を根拠にしているのか、ガウリイはのんびり胡座で寛いでるし。
 「俺、ちょっと様子見てくる!!」
 水浴びするって言ってたから、あの滝の辺りにいるだろうか。
 さっきの態度を謝るチャンスだと、俺は走り出した。



 昼の森は夜とは全然違った雰囲気で、さっき大規模な戦闘があった事なんて冗談だと思える程、すっかり普段どおり。
 いつの間にか小鳥は囀り、背の高い木々の上、張り出した枝を栗鼠が渡って駆け去っていく。



 リナは、凄い魔道士なのかな。
 ガウリイだって俺を軽々と担いで走っても全然平気だったし、さっきの剣戟は今まで見た誰よりも速くて、うまく言えねぇけど、綺麗な動きだったと思う。
 よくよく思い出してみれば、転がっていた腕の断面の鮮やかさからも只者じゃないと判る。
 凄腕の剣士だろうガウリイが戦いの場をリナに任せられる程、リナは凄い魔道士なのかもしれないな。
 ん? 待てよ。
 リナと、ガウリイ。
 あの格好からすると、リナはたぶん黒魔道士って奴だよな。
 若くて凄腕の女魔道士と、傭兵の組み合わせ。・・・どこかで聞いた覚えがある。
 滝を目指して走りながらも、脳みそをフル回転させて記憶を探り。
 目的地の手前で、俺はようやく答えを思い出した。
 「リナ=インバースと、ガウリイ=ガブリエフだ!!」
 それなら全部納得がいく。希代の魔道士リナと傭兵ガウリイ。
 噂に伝え聞く「デモン・スレイヤーズ」 それがあの二人の事なら!!
 只者じゃなかったんだ。・・・俺達一般人とは、違う世界の奴らなんだ。
 だんだん足が重くなってきて。走るのを諦めて歩き始めてからも、どんどん進む速度は落ち続け。
 滝の手前に辿りついた所で、俺はとうとう立ち止まってしまった。
 俺が、何を言えるっていうんだろ。
 リナほどの魔道士なら、あんな事も日常茶飯事だろうし。
 ちっこいだけのねーちゃんにしか見えねぇけど、俺の事なんかその気になりゃ指先一本で一捻り。
 俺がリナを怖がっちまったのも、ある意味当然なんだよな・・・。
 どこかで『助けてもらっておいてなんだよ』って、もう一人の俺が喚いてるけど。
 女相手に本気でびびってしまった自分自身を認めたくなかったのか。
 俺は、拳を固めたままひたすら地べたを睨み続けた。そこに臆病な自分がいるかのように。

 ぱしゃんっ。

 突然、澄んだ水音が耳に届いた。
 軽いものが水面を打ったような、ささやかな音。
 気がつけば、ここはまるで昨夜見た幻と同じ場所、同じ状況だった。

 昨夜の幻に誘われるように、息を殺して茂みを掻き分け前へと進み。
 明るい日差しの中。まるで普通の村娘のような、無邪気に笑うリナを見つけた。
 ついさっきまで潜っていたのか、綺麗な長い髪の毛が水面に広がり漂っていて。
 それは浮上してきたリナの上半身が露わになるにつれて、真っ白な背に影の如く張りついて。
 華奢な体型も相まって、まるで水精霊のように儚げな風情をかもし出していた。

 「あれ・・・リナだったのか」
 呆然と呟いた俺の後ろから、いきなり「お前さん、覚悟しとけよ」と。
 首だけで振り向いたら、いつの間に追いついたのかガウリイが立っていて。
 「どんなに力があろうとなかろうと。こんな時のあいつは、まるで普通の娘なんだよ」
 笑顔のまま、がっちり俺の両肩を掴んでるガウリイ。
 ギシギシ骨が軋む位、力の込められた指先が示すのは?



 「・・・あんたたち」
 とぷんっ。
 沈み込む水音と共に、低い唸り声が投げかけられ。
 続いて、昨日も聞いた不思議な旋律がリナの口から紡がれて。
 まさか、それって・・・。
 「いつまで覗いとるんじゃ! ボム・ディ・ウィンっ!!」
 怒りの形相のリナから解き放たれた、強烈な風の塊にガウリイ共々吹っ飛ばされて。
 俺は昨日の夜と同じように、盛大に木の幹にブチ当たり、そのまま気を失った。



 「・・・二日連続乙女の水浴び覗こうなんて、随分いい根性してるわよね?」
 背中の痛さで目が覚めたら、目の前にリナが立っていた。
 ちゃんと服を着ているし、装備も飾りも全部身につけていて。
 「そうしてると、全然幻なんかに見えねー」
 思ったまんまを、口に出してしまった。

 「幻って何よ?」
 怪訝そうに首を捻るリナを見ても、全然儚げとも消えそうだとも感じない。
 けど。
 「どっちのもリナ。そういう事、なんだよな」
 俺は思いっきり笑って、リナを真っ直ぐ見つめて言ったんだ。
 「どういう事?」
 「そういう事だよっ!!」
 照れ臭くてそっぽを向いたら、 『すぱこんっ!!』固いスリッパが俺の脳天にクリーンヒット!! どっからそんなもん出してきたんだ!?

 「なんかよく判んないけど。覗きなんて、二度とするんじゃないわよ!」と、胸を張り、きっぱり言い切ったリナは。なんかこう・・・うまく言えねぇけど。
 なんだか、すっげぇ魅力的だったんだ。

 そのあと「きっちし見料貰うわよ」との理由で、リナの為の獲物を狩るハメになり。
 俺は半日がかりで山中を駆けずり回って、何とか獲物を仕留める事に成功した。



 「ジョン。どうしてこれだけなんだ?」
 家に辿り着くなり、軒先でへたり込んじまった俺に、親父が声を掛けてきた。
 「ダメか?」
 聞き返しながら、背に担いだ毛皮を地面に降ろす。
 「ダメってんじゃねぇ。お前が自分の力だけで初めて仕留めた獲物なんだろ?
 なんでまた、ひとっかけらの肉も持って帰らなかったのか気になっただけで」
 「肉は人にやった」
 ああ、身体がだるいぜ。
 「人に、ってお前。まさか狩りを手伝ってもらったんじゃ」
 「それはない」
 親父の言葉を遮り、グッと顔を上げてまっすぐ親父の目を見て。
 「本当はもっとすげぇ獲物を見つけたんだけど、そっちはダメだった。だからこれが今の実力なんだと思う」
 だからもうしばらく修行させて欲しいと、思いっきり頭を下げて頼み込んだ。
 あいつらレベルは無謀でも、もっと経験積んで肝も鍛えて。
 誰かにあんな顔をさせたりしないような、そんな大人になるんだって。



 後日、捕まえそこなったのは『ドラまた』だって、うっかり口を滑らせた事と。
 夜な夜な親父が頭を抱えるようになったのは。

 関係・・・ないよな?